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広島高等裁判所 昭和60年(く)37号 決定

主文

原決定を取消す。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は、検察官甲野太郎作成の抗告及び裁判の執行停止申立書並びに抗告申立理由書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

一件記録によれば次の事実が認められる。

(一)  被告人は昭和五八年一二月一七日殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反罪により逮捕、同月一九日同罪等により勾留され、昭和五九年一月七日勾留のまま起訴され(公訴事実は別紙一のとおり)、昭和六〇年九月二五日に第一六回公判が行なわれ、次回は同年一〇月三〇日と指定されていること、被告人は本件の動機を争い、被害者などの証人調べを経て被告人質問が続行されているが、被告人側からは他にも多くの証人申請がなされていること

(二)  被告人は独特の世界観を有し、その信念は確信に至つており、本件の動機もそれにあると思われるが、その考えを世に訴える目的で昭和五二年及び五五年施行の参議院議員選挙にいずれも全国区から立候補し、また昭和五八年一二月施行の衆議院議員選挙に兵庫一区から立候補したが、いずれも落選したこと(尚、本件の公訴事実は右衆議院議員選挙の期間中に行なわれたものである)

(三)  弁護人或いは被告人は、昭和五九年一月二四日、同年八月三一日、同年一〇月二日、昭和六〇年一〇月四日にそれぞれ保釈請求したが、いずれも刑事訴訟法八九条一号に該当し、かつ保釈は相当でないとして却下されたこと

(四)  被告人は、昭和六〇年一〇月一二日告示の神戸市長選挙(同月二七日投票)に立候補し、弁護人は同月一八日選挙運動の必要性を理由として勾留執行停止の職権発動を促したところ、広島地方裁判所は同月二二日被告人を妻Bに委託し、別紙二の指定条件を付して、同月二八日午後零時まで被告人の勾留を停止する旨の決定をしたこと

そこで検討するに、裁判所は「適当と認めるとき」には勾留の執行を停止できる(刑事訴訟法九五条)ものであるところ、制度の目的に照らすと、それは緊急かつ切実な必要性がある場合をいうものと解される。これを本件についてみるに、原決定の理由とするところは、神戸市長選挙の運動のためであるとみられる。被告人が勾留されたままであれば、自らの主義主張を直接選挙民に訴えられないなど、釈放された場合に比し選挙運動にある程度の支障が生ずることは明らかであるが、選挙公報或いは支持者、運動者による選挙運動も可能であること、被告人は昭和五八年一二月一九日以来勾留され、数度の保釈請求がいずれも却下された状態で、即ち自ら街頭に出ての選挙運動ができないことを承知のうえで敢えて立候補したものとみられること、勾留が選挙運動にある程度の影響を与えても、立候補或いは選挙運動の自由を害するとは言えず、立候補による選挙運動の必要性が勾留の執行停止の要件である緊急かつ切実な必要性に直ちに結びつくものとは解されないこと、本件公訴事実が改造けん銃の発砲による殺人未遂等であり、重大な事案であることなどに照らすと、被告人が神戸市長選挙に立候補したことによる選挙運動の必要性は本件事犯についての勾留の執行を停止するのを適当と認める理由とは言い難い。

そうすると、被告人に対する勾留の執行停止をした原決定は失当であり、本件抗告は理由があるから、刑事訴訟法四二六条により原決定を取消すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官久安弘一 裁判官横山武男 裁判官谷岡武敎)

(別紙一)〔公訴事実〕

被告人は

第一 かつて自己が太平洋戦争中独立工兵第三六連隊第二中隊に所属していた当時の上官であつた同中隊長Cが、終戦直後の昭和二〇年九月上旬ころその部下の兵士の銃殺に責任者として関与したとして右Cに制裁を加えるため同人または同人の家族を殺害しようと企て、昭和五八年一二月一五日午後零時ころ、実包を装填した口径六・九ミリメートルの回転弾倉式改造けん銃一丁を携帯して広島県大竹市〈番地省略〉の右C方に赴き、同所玄関前において、応待に出た同人の長男D(当三六年)に対し、殺意をもつていきなりその左前胸部めがけて所携の右改造けん銃を発射し、弾丸一発を同人の左前胸部に命中させたが、直ちに病院に収容され緊急手術が行われたため、同人に対し加療約三か月間を要する左前胸壁貫通創、心室貫通創、左上下葉貫通創の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかつた。

第二 法定の除外事由がないのに、前記日時場所において、前記口径六・九ミリメートルの回転弾倉式改造けん銃一丁及び火薬類である実包四個を所持したものである。

(別紙二)〔指定条件〕

一 逃亡若しくは罪証を隠滅すると疑われるような行動は避けなければならない。

二 召喚を受けたとき正当な理由がなく出頭しないようなことがあつてはならない。

三 被告人は自宅である神戸市兵庫区〈番地省略〉に居住しなければならない。

四 被告人は選挙運動以外の目的でみだりに外出してはならない。

抗告及び裁判の執行停止申立書

右被告人に対する頭書被告事件につき、昭和六〇年一〇月二二日広島地方裁判所刑事第二部がした勾留執行停止決定に対し、左記のとおり抗告を申し立て、併せて右裁判の執行停止を求める。

第一 申立の趣旨

一 被告人については、勾留の理由と必要が現存し、なお勾留を継続しなければならないことが明らかであるのに、勾留の執行を停止したことは判断を誤つたものであるから、右裁判の取消を求める。

二 勾留執行停止の裁判により、直ちに被告人を釈放するときは、本件抗告が認容されてもその実効を期し難いので、本件抗告の裁判があるまで、右勾留執行停止の裁判の執行停止を求める。

第二 理由

おつて書面により補充する。

昭和六〇年一〇月二二日

広島地方検察庁

検察官検事 甲 野 太 郎

広島高等裁判所殿

抗告申立理由書

右被告人に対する頭書被告事件につき、昭和六〇年一〇月二二日貴裁判所に申立てた抗告の理由は左記のとおりである。

昭和六〇年一〇月二三日

広島地方検察庁

検察官検事 甲 野 太 郎

広島高等裁判所殿

第一 勾留の理由

一 刑訴第八九条第一、二、三、号に該当する。

被告人は、昭和三二年四月八日神戸地方裁判所で殺人罪により懲役一〇年に処せられ、昭和四五年一〇月七日東京高等裁判所で暴行罪により懲役一年六月に処せられており、本件は昭和五八年一二月一五日C又は同人の家族の殺害を企図し、改造けん銃を発射してDを射殺しようとして重傷を負わせた事案であり、更に、被告人は、右C殺害後は在神戸インドネシア領事館員E、四国に在住するFを順次殺害する計画であつた旨主張し、検察官に対して再犯防止のために、右Cらに対する殺人予備を追起訴するよう被告人自らが要求している状況にあつて、本件犯行は常習として犯されたものといわざるを得ない。

二 刑訴第八九条第四、五号に該当する。

被告人は、本件犯行の動機について全面的に争つているものであつて、右Cについては再度の証人尋問を請求しているほか、在神戸インドネシア領事館員H、同I、J、Eなど多数の証人尋問を請求しており、被告人の捜査公判を通じて看取される、性格、思想、行動力等考慮すれば、自己の主張を貫徹せんがためには、敢えて、証人或いはその家族に対し威迫等の挙に出る虞れが強く、これら証人の大部分は被告人請求にもかかわらず、被告人の意に沿う証言を期待し難いことも推測されるのであるから、威迫のみに止まらず、それ以上の凶暴な行動に及ぶ危険性は極めて高度であつて、再犯すら強く危惧されるところである。

三 本年一〇月四日付で保釈請求がなされたのに対して、同月一一日付けで同請求が却下されたことからも被告人の勾留の理由があることは明らかである。

第二 勾留の必要性

一 本件は、いわゆる確信犯であつて、被告人の企図する犯行は、通常人であるならばその犯行に出るを制止するに足る法律・倫理等の規範はもとより、近親縁者らの説得制止等も全く無力に等しく、被告人の企図が最高の位置を占め何物にも羈束されないのをその特徴とする。

かかる被告人にとつて法律・規制等を遵守させる唯一の方法は、勾留によつてその拘束を継続することのほかにはなく、その必要性は極めて明白である。

二 裁判所は、勾留執行停止決定に当たり、被告人に対して逃亡若しくは罪証隠滅の疑いある行動を避け、居住先を定めて選挙運動以外の目的でみだりに外出しないこと等を条件として指定し、期限を定めて被告人の妻Bに委託したが、被告人の意思を羈束するに足る効果を期待できないことは既述のとおりであり、妻である受託者に被告人をしてこの指定条件を遵守させることを期待することもできない。

現に本件は昭和五八年一二月施行の衆議院議員総選挙に立候補し、同選挙の選挙運動期間中に敢行されたものであり、このことをもつてしても被告人が裁判所の定めた条件を遵守する可能性がないことは明らかである。

三 被告人は、本年一〇月一二日公示、同月二七日施行の神戸市長選挙に立候補し、その選挙運動を行ないたいとして勾留執行停止を求めているのであるが、被告人は、昭和五九年一月七日起訴されて以来、勾留を継続されているのであつて、勾留中の被告人がその状況の下において敢えて右選挙に立候補したことは、勾留によつて選挙運動が制約されることを承知し、これを受忍した上で立候補したものであつて、選挙運動は選挙公報などの文書などによつてこれを行なうこともできるのであつて、従来からの勾留をそのまま継続することは何ら被告人の選挙運動の自由を妨げることにはならない。

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